Ave Mujica 第7話のモノローグ部分に対する気持ちを言語化しておきたい(ネタバレ度★★★)

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2月13日(木)の23:00から放映された BanG Dream! Ave Mujica 第7話において、EDの少し前のシーンで、演奏に被せてモノローグを行うシーンがありました。

これについて、賛否両論あるようです。私も思うところがあるので、それをなるべく言語化して吐き出しておこうと思います。

目次

私のスタンス

私は正直「否」側です。ただ「モノローグで内面を語る」演出はいいものだったと思っているので、どっちかというと「否」程度のものかもしれません。

この記事で言いたいのは、こういうことではない

この記事を読んでいる人が想定しているであろう(と私が勝手に思っている)意見のうち、私の主張ではないというものを、以下に5つ述べておこうかと思います。

  • 春日影にモノローグを被せる演出はよくない演出である
  • 詩超絆と同じような演出にして欲しかった
  • CRYCHICメンバーにモノローグをさせるのはよくない演出である
  • CRYCHICが普通のバンドだというのは解釈違いだ
  • この演出を考えた人には実力が足りない

念の為付記しておきますと、7話担当の脚本家の方やコンテマンの方は、It’s MyGO!!!!! や Ave Mujica の過去の回を担当した実績のある方です。(実質同じアニメの20話目なので、そりゃそう)

そして、もちろん、それら過去の回も、今回の7話も、大好きです。

好みだけの問題ではないのでは?

というのも、書いておきたいところです。Twitter回遊した感じだと、思ったより否の意見が多かったので…

好みの問題が混じっていることを否定したいわけではないですが、私の感じ方を振り返っても、他の人の反応を見ても、欠点のある演出だったのは事実だろう、と現時点では考えています。

烏滸がましいですが、他の「否」側の方々の意見もこの記事で言語化できてたら嬉しいな、と思いながら書いています。

肯定的な意見も持ってます

ということは、強調しておきたいですね。

モノローグで語られた内面は、It’s MyGO!!!!! と Ave Mujica 計26話を通して、どこかでは絶対に必要な描写だったと思うし、モノローグの内容には、強く感動しました。普通に泣きながら見てたよ、ほんとに

7話の話の展開は本当に大好きだし「AveMujicaの7話神回でしたね!」って言われたら「めちゃくちゃよかったよね!感動した」と返すことはできます。(神回であることは…肯定できないかも。私は5話が刺さるタイプで、5話はガチで神回だと思っている)

ノリきれなかったんだよね

結局どう思ったの?といわれると、ノリきれなかったなぁ、というのが答えになります。

詩超絆はチョーーーーーーー気持ちが乗って、めっっっっっちゃ感動した。この春日影では、同じくらい盛り上がった気持ちにはなれなかった。残念ながら、そういう現実があるんです。

前置きが長くなってしまいましたが、ここから「結局なんでノリきれなかったんだろう?」という問いに対する”答えかもしれないもの”を書き連ねていこうと思います。

そよと立希のセリフが説明的すぎる?

なーーーんか長い気がする。逆に祥子は端的で、ざっくり二言、よすがだった、もうないんですのね、で終わり。こっちは特に違和感感じなかったんですよね。祥子のモノローグはすげーよかった。

曲の尺に合わせて書いた?感を、私が感じているんでしょうか?

そよのセリフを少し振り返ろう

違和感を感じている原因は、ほかにも色々あるような気がします。

例えば、そよの「ほんとうに、運命だって信じちゃうくらい」のセリフ、後から見返すと、少しだけ違和感があるかもしれない、というような気になってしまっています。

どう考えても、CRYCHICメンバーにとって、CRYCHIC での出会いは運命的な出会いではあるはず…

「そよさんにとっては運命だって信じちゃうようなバンドだったんでしょう」

って海鈴がいう分には一切違和感ないし、

「私にとっては、運命的で特別だった」

ってそよがいう分にも違和感感じない気がするんですよね。

ということは、多分、多分なんですけど、第三者みたいな言葉の選び方された台詞を当事者が言っていることに、ほんのり違和感を感じているのかな〜〜〜〜〜〜〜〜と。本当にほんのり、ですよw

あと、

「欲しくて、戻りたくて、たまらなかったよ」

↑↑これがそよりんの気持ちの本体というか、It’s MyGO!!!!! でより強調されていた部分ですよね。

私が求めている独白は、こっちを本体にしたセリフで組み立てられたものだったのかもしれないな〜なんてことも思います。

立希、普通っていいすぎ

立希って、言うべきことはスラスラ言えても、言いたいことはスラスラ言えない描写多いじゃないですか。(この独白では該当しませんが、謝るときが特にそうで、ほんとうに謝るの下手くそですよね。睦にすんなりごめんって言えちゃってるの、解釈不一致です)

この独白はやたらスラスラ気持ちが出てきていて、この言葉選びのペースってほんとに立希のそれなのかな?と、少し違和感を感じてしまっています。

こういう場面ではスラスラ独白する人だ、と考えるに足る根拠を、ちゃんと見つけたいところですね。

あと、CRYCHIC は彼女たちにとっては特別だったが、客観的には普通だった、ということを強調するのに、普通って3回立て続けに言っちゃうのは、個人的には、盛り上がってる気持ちが削がれてしまう言葉選びだなぁと感じました。

「特別じゃなかった」という言葉選びであって欲しかったな、という感想になりますね。

そもそも、(これは最終的には好みの問題になると思いますが)普通であることをそこまで強調しないといけなかったんでしょうか?

また海鈴の名前出しますけど「バンド組んですぐに解散する、どこにでもあるバンドだった」って、どっかで海鈴の独白を入れて一言言わせれば、普通のバンドだったことの説明は終わる気がします。

それを当事者が受け入れることの表現も「特別じゃなかった」「”私たちにとっては”特別だった」「”あのときは”特別だと思っていた」みたいなセリフにすれば、盛り上がる気持ちを削がれることはなかったのかなと

春日影の演奏に合わせて CRYCHIC メンバーの気持ちが盛り上がっていっているのであれば、その盛り上がりをもっと素直に受け取らせて欲しかったというか…

極端な言い方をすれば(冷静になって考えれば、ただの普通のバンドだったな…スン)ともとれる言葉選びだったように感じました。もちろん、演出でそうじゃないことはわかるんですが、冷静さを感じられる受け取り方ができないような言葉選びが、私の求めているもののような気がします。

予備動作と尺が足りてないのかな?

春日影やるって(予想できてる人もいたみたいですが)サプライズ的展開で、クライマックスってところじゃないですか。

もう一曲、って立希が言い出したところで「春日影やるんだ!!!うおおおおおお」ってなったところに、演奏のボリューム落としてモノローグを突っ込んでるのは、演出として無粋な気がしてしまったんだと思います。

つまり、今から春日影の演奏もモノローグもやる!という展開に対する「予備動作」を読み取れなかったから、モノローグの演出に悪い意味で驚いてしまい、そのせいで乗り切れなかったのでは?ということです。

もう一度繰り返しておくと、モノローグがダメだと思っているわけではないんです。ただ、視聴当時の私の感覚を振り返ると、若干ながら置いていかれてたな、と。

あと、あそこで春日影やるってなって、ショートバージョンていうのは、完全に尺の都合じゃないですか(実はそうじゃない可能性もありますけどね)。EDカットすればよかったよね?

その辺りも含めて、祥子のキーボードを聴いての盛り上がりを少し裏切る演出のようにも感じられました。

春日影の演奏邪魔しないでよ!的な盛り下がりを少し感じたと言ってもいいかもしれません。

(2番まで待ってからモノローグを初めて、ラスサビ前でモノローグ終わらせて最後また盛り上がるとか、演奏後の会話シーンでうまくモノローグ入れるとかすれば、回避できたのかな?どうなんでしょう…)

モノローグには本当に感動したんですよ

嘘じゃない、ほんとうに感動しています。

モノローグ内で語られたことは、Ave Mujica の中で絶対に描写されるべきことだっただろうし、7話の、MyGO!!!!!のリハーサルのステージで、MyGO!!!!! の始祖たる千早愛音の提案でそれが為されるのも、すごく美しい展開だと思うんです。

ただ、ただ…演出面で乗り切れなくて…

このテレビ版での演出がベストだったのだ、と思える人を羨む気持ちすらあります。

この演出を、いつか、ちゃんと納得して受け入れられることを祈っています。

(It’s MyGO!!!!!の13話目にAveMujicaの話になって終わるのも、最終的にはAveMujica13話分の話が存在しなくても受け入れられるなって思えるようになりましたからね、私は)

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プロフィール

いぷしろん*です。しがない会社員です。「いぷしろんどっとねっと」でフィクションメインで、創作物を楽しんだ記録を残してます。

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