2025年1月16日に放映されたAveMujica第3話の感想を、放映順に場面を振り返りながら述べたいと思います。
ツアー初日終了後の楽屋
初華さんニッコニコやんけwww
初華は、きっと、ステージ上での行動は演者としての行動だと信じているのでしょう。にゃむちと海鈴にも、その節が見られます。
ただ、ここでパフォーマンスに感服して笑顔になれるのはさすが、初華さんの人の良さがでてるなぁという印象です。
笑顔を見せる初華に対し、驚嘆の表情を見せる海鈴とにゃむも印象的でしたね。そして、睦に対して険しい表情を向ける祥子に、睦は「ギター、間違えた」と返します。
その時に海鈴さんが放った言葉は、なんと
「それで誤魔化しもせず固まっていたということですか」
睦への仕事の振り方の時点である程度は察せられていましたが、メンバーのことが見えていませんね…
このシーンは尺を割いてもいいような気もしますが、祥子の険しい表情を最後に、次のシーンに移ってしまいます
睦の人形劇
ここから、睦の人形劇が始まります。先行上映で初めてこれを見た時は、本当に度肝を抜いてしまいました…
画面全体がすごく暗く、陰鬱な雰囲気を漂わせています。演出がホラーのそれに見えますね(普段ホラーを見ないので、実際のところどうかはよくわかりません)
圧縮でわかりづらくなってますが、ここは客席にずらりとむつみの顔が並んでいます。かなり狂気的な演出ですね。多重人格でしょうか?(噂されているように、終盤までの描写も込みなら、ほぼ間違いない)
ここから、睦がギターを演奏するようになった経緯(の一部?)が描かれます。
1番最初にギターに触れたきっかけ、あるいは家にギターが置いてあった理由の描写まではありませんでしたね。必要ないから省略されたのでしょうか?
このシーンで登場する音符は、常に歪んでおり、睦はギターを歌わせられないからバンドが楽しくないのだということが明かされます。親の14光から脱するために手にしたギターでそうなってしまったことの切実さがよく現れていますね。
CRYCHICの振り返り(?)では、燈、立希、そよに対する気持ちが明かされています。
ギターが喋っていますが、ここは睦の本心をギターが代弁しているのでしょう。
ところが、ここで「祥子ちゃんは…」と、祥子に対しては形容が出てきません
さすがに、祥子が壊れそうだからAveMujicaに参加している睦が、祥子に対して何も思っていないということはないでしょう。
他3人が非常に肯定的に語られるのに対して、祥子についての言葉が出てこないのは、この時点で祥子に対する負の感情が溜まってしまっているのでしょうか?本心が明かされるのが非常に楽しみですね。
そして、自分の言葉を最後に、CRYCHICが壊れてしまったことを思い返します。睦、祥子の罪深さと、円満には解決に運べない未熟さの両方を非常に強く感じる演出だったなという印象です。
初華の家で
場面は、初華と祥子のやりとりに移ります。
「あれがAveMujicaの世界だと思われては困ります」
睦のパフォーマンスは、興行的には成功です。にもかかわらず、明確に不満を示す祥子。
自分が作った世界ではなくなってしまうことを恐れているのでしょうか?
睦がどういう子かわかっていたのに、と少し反省の色を見せています。ただ、この時点では、もっと睦のことを気にかけるべきだったと考えており、祥子自身が、睦を気にかけることができなくなるほど余裕をなくしていることには自覚的ではないようです。
そっか、昔からか…と少し俯く初華。どことなく、祥子にとっての存在感の差のようなものを感じ取っているように見えますね。
ここで、初華は、祥子のことを気にかけて、一緒にドーナツを食べようと誘います。2話でまなとドーナツを食べたのが印象に残っているのでしょう。(このドーナツが鎖に見えるというのをTwitterで見かけてびっくりしました、そう言われたらめちゃくちゃ鎖に見える)
しかし、祥子は、一緒にドーナツを食べることはありません。余裕をなくしてしまっているのだから一緒に食べるべきなのに、余裕をなくしてしまったが故に一緒に食べれないのでしょう。切ないことです。
「昔からか…」に引き続き、祥子と距離を感じる結果となってしまった初華の心中も、あまり穏やかではないでしょう。
この辺は、先行上映の感想でも少し詳しく触れています。よかったら飛んでみてください。
祥ちゃんと食べようと思って半分に切ったドーナツぜんぶ1人で食べてるところを想像して「初華はかわいいなぁ」と「初華は(睦と違って)祥子に触れられなくて辛いなぁ」を往復しています
にゃむちの家
にゃむちが努力家であることが、かなり具体的かつ明示的に明かされます。(先行上映組はここまで一気に見たはずなのに、なんであんなににゃむちにヘイト溜めてる人が多かったんですかね?)
しばらくタイマーに気づかないほど集中してドラムの練習をしている
YouTuber(?)としての仕事を頑張ったら、もう夜になっている
その後、どうやらにゃむちが睦に対して強烈な劣等感を抱いているであろうことを窺わせる描写があります。我々視聴者に対しても、睦が親の七光りだけで評価を得ているわけではないという現実が強調されていると捉えられます。
海鈴の家は??
この記事書いてて気づいたんですけど、この流れだと海鈴の描写出すのが普通じゃない?
海鈴の私的な描写は、徹底して省略されていると見て良さそうです。となると、2話でうみたき描写があったわけですから、海鈴と立希の関係性は非常に重要な役割を果たすのではないか?と思わされますね。
一体海鈴の何が隠されているんでしょうね?
この話を膨らませてしまうと3話の感想&考察の域は抜けて妄想になってしまうので、この辺にしておきます。
睦邸のスタジオにて
にゃむが睦に声をかけるシーン
ここでにゃむが睦と「コネ」を作ろうとする描写がみられます。さすがですねw
睦ちゃんは最初から目が開いているので、寝れてなさそうです。
ここで、祥子が睦の足枷になっていることを明確に指摘し、「このままじゃふたりで破滅だよ?」「ちゃんと聞こえたでしょ?」というにゃむちには、祥子のことがどう見えているのでしょうか?
豊川家の令嬢でありながら、庶民的な服装を身にしていることには気づいてますし、AveMujicaに対する独善的なこだわりの見せ方は強く感じ取っているはずです。にゃむちは、ひょっとして、祥子の隠し事の存在や非常にストレスフルな精神状態を感じ取れているのでしょうか?
完全に妄想ですが、燈と祥子の出会いの再現を、にゃむちを使って、立場を逆にして再現してくれると、かなり熱いな〜なんて思っちゃいますね!燈とにゃむちはめちゃくちゃ似てるし!
睦劇場
ここで海鈴がやってきて、音楽番組のオファーについての話が始まります。そんな中、睦は完全に上の空で、モーティスとの対話を行なっている描写が入ります。
ケンコーによくない!はおもろすぎるわwwwww
本当に全く話を聞いていない描写が入るわけですから、この時点で睦の精神状態が極限に近い位置にあるのは確定的ですね。
その後、睦はパフォーマンスをしたいのかどうか聞かれて、結局答えないまま次の場面へと移ります。
仙台公演
公演前のやりとり
ここでは、改めて祥子とにゃむちの方向性の違いが明確に示されます。祥子は自身が用意した世界を披露したいが、にゃむちは観客が求めるものをだすべきだと考えています。
ここでも、祥子は、自分が持つ方向性について、なんら具体的な説明をできていません。学生なので無理もないことですが、プロデューサーとしてはお粗末だと言わざるを得ません。1話から、プロデューサーとしての祥子は一貫して未熟であることが強調されているように感じます。
仙台駅にて
結局パフォーマンスをやらず、観客を落胆させたことに対して怒るにゃむち。お為ごかししか返せない祥子と初華。
結局、話は平行線のまま、何も解決しません。
ここで、祥子が、にゃむちはもっと練習すべきだと言ってのに対し、海鈴が、にゃむが練習不足だと感じたことはないと口を挟みます。
海鈴が「実力不足」とは言わず「練習不足」という言葉を選んだこと、祥子の口から練習不足という言葉がでてしまったことから、作中では、にゃむちのドラムの実力が音楽面で足を引っ張っているのではないかと推察します。(にゃむち役の米澤氏は、声優ではなくドラマーで、むしろバンドを引っ張っていると言えると思います)
ここで、睦の中で、ふたたびCRYCHICでの光景がフラッシュバックします。睦が本格的にAveMujicaの崩壊を予感したのはこのシーンだということでしょう。
祥子の帰宅の前に
上の空で祥子についていく睦。祥子は振り返って、厳しい言葉を投げかけてしまいます。
中でも「どうして味方になってくれないの!」は非常に決定的なセリフのように感じます。直後の睦ちゃんの数カットでは、睦がショックを受けて立ち尽くしている様子が非常に印象的に表現されていますね。
甘えないで!
たじろぐ睦
ここでの睦は、きっと、自分が祥子のために行動したとしても、それが祥子には届いていないのだということを強く感じたことでしょう。睦自身の、祥子への非常に強い思いが感じられる、そしてそれゆえに睦自身の変容を引き起こすきっかけとなる、非常にいいシーンだなと感じます。AveMujicaの1〜3話で1番好きなシーンかもしれません。
祥子は祥子で、自分が何をしているのか、ようやく少しは自覚できたようで、ハッとするカットがあります。このあと謝らずに立ち去るところに、祥子の「気高さ」の悪いところが出ている気がしますね。うーん、むつさき、実は相性悪いのでは?
音楽番組の生放送で
終盤までにゃむが祥子に演出の変更を打診します。(キレている、喧嘩していると言ってもいいですが、その方が興行的にうまくいくはずだと、直前までプロデューサーに掛け合って口論している、という言い方の方が適切な気がします)
ここで、ふたたび睦とモーティスのやりとりがはじまります。
睦とモーティスのやりとり
暗闇の中、雨が降っており、モーティスが傘をもっている。ギターも雨に降られている。そんな状況から、晴れ渡る演出が入ります。
そして、傘に手を伸ばす睦。
このカットで気になる要素がありまして
- 睦には太陽の光が当たっている
- 傘とギターが同じ色をしている
- ここで傘をさせば、太陽の光を、ギターと同色の傘で遮ってしまう
ということです。ここで睦は、傘(ギターの象徴でもある?)に手が届かない方が幸福なのではないか?とも考えられるのではないでしょうか?
It’s MyGO!!!!! OP の壱雫空では、サビの部分で空が晴れ渡り、傘をさす演出が入ります。燈が歌う壱雫空では「忘れない」と高らかに歌っていますから、過去(CRYCHIC)との決別も象徴しているのでしょうか?
ともあれ、雨が降る中傘を刺して歩き出すのか?と思わせてから空が晴れ渡り、いらなくなった傘には手を伸ばさないのか?と思ったら手を伸ばし、という形で、私の予感は、この短いシーンで二度も裏切られています。
手を伸ばしてモーティスと歩き出すのか?と思った瞬間…
結局これですよ!?!?
咀嚼音に妙にリアリティがある気もするんですが、この咀嚼音は重要なんですかね?睦がモーティスに取り込まれたことを明確にしているように感じます。
私が演出担当で、3話までのシナリオだけ受け取った状態だったら、ここは無音にして、モーティスと睦が溶け合って一体になっていると解釈できるような演出にする気がします。そうはなってないわけですから、今後「睦」と「モーティス」を往来するような描写があるということでしょうか?
本番がはじまり…
左目から涙を流しながら、語り始めるモーティス
「睦」が流した涙なのか、モーティスの涙なのか…
考察の材料が少なく、個人的には、断言しがたいですね。ただ、いまのところは睦が泣いてるのかなと考えています。
この後の語りも、モーティスから睦に向けたもののように聞こえます。
ほんとうにいい笑顔!!かわいい!!睦は笑いますわよ!!!
ここで、ステージ上に立つ祥子が、モーティスを演じるのをやめて、睦の幼馴染たる豊川祥子になってしまっているように見えます。
むつみ…
ということは、睦の表情や振る舞いは、かつての睦と重なる部分があるということなのでしょうか?
モーティスに取り込まれたように見せかけて、昔の睦に返っている?
「おやすみなさい、よい夢を…」
それは、眠りか死か、せめて安らかでありますよう
とナレーションが入っているということは、この演出は、モーティスが睦に対して子守唄を歌っているに近しい状況のようにも受け取れますね。
喋ることが怖かった睦が、安らかに眠れますように…
とまぁ色々考えさせられますが、結局、睦にどんな変化が起こったのかは、ステージの外でのやりとりが映るまではおあずけかな〜と思います。
これには言及しないといけない気がするので、言及しておきます
睦は、ストレスによる解離性障害(いわゆる多重人格)であるとTwitterで言われることも多いですね。
睦の描写は私の経験や知識の範疇から非常に大きく外れているので、もうどう受け取っていいか正直わからないんですが、いわゆる「健忘」が今後見られるようであれば、確実に多重人格だろうなとは思います。
ただ、モーティスとしての睦が明確に表に出たのは3話のラストシーンが最初なので、まだ解釈の余地が残されてはいるかなというのが個人的な見解です。
次回予告
いや学校でもそうなるんかい…そよりんはがっつり指いじってるし…
そして、祥子はより追い込まれているように見えますね…完全に孤立しているようです。もうAveMujicaの中心は睦になってしまっているのでしょう
祥子ひとりだけ表情が硬い…
AveMujicaのプロデューサーとして、崖っぷちに追い込まれているようにも見える祥子が今後どのようにAveMujicaで立ち回るのか、救われていくのか、非常に楽しみですね!